地球をぷらぷらしながらYoutube、ブログで発信しています。
2020年4月。コロナ全盛期。
未知のウイルスに人類は恐怖し、ウイルスの蔓延を防ぐ為、人々は家に閉じこもり交流を断った。
勤務先が営業停止になり暇だった俺は、毎日お尻の写真を友人にLINEで送っていた。
結果、その友達の彼女から俺はキチガイのレッテルを貼られた。
果たして俺はキチガイなのか??
少々センシティブな話になるが今回は、それを考えていきたいと思う。
目次
元々は経過観察の為だった
俺だって、何の脈絡もなく
お尻の画像を友人に送るぞー
とはならない。
残念ながら俺は凡人だ。
そんな発想力があれば、今頃は登録者10万人クラスのYoutuberだ。
全身に湿疹ができた
当時の俺は貨幣状湿疹という、良く分からん湿疹が全身に出来ていて、痒みとボツボツに苦しんでいた。
そして皮膚科で処方された薬を塗りながら、毎日体に出来たボツボツの写真を撮り経過観察をしていた。
ただ経過観察するだけじゃ詰まらないので、ボツボツの写真をLINEで友人に送り経過観察を共有していた。
お尻の写真を送る文化だけが残った。
2週間程で、貨幣状湿疹は良くなり、全身のボツボツは綺麗になったが、お尻の写真を送る文化だけは残った。
これが友人にお尻の写真を毎日送るようになった経緯である。
元々あった文化、風習が形を変え、一部だけ残るのは人類の歴史から見ても決して珍しい事ではない。
お尻の写真を送る日々
そんな訳で日々お尻の写真を友人に送っていた訳だが、ただお尻の写真を送るだけでは能がない。
なるべく友人を飽きさせないよう、変化をつけ、バリエーション豊富にお尻を撮影して写真を送った。
それが下記。
言うは易く行うは難し
「毎日お尻の写真を送る」
一見簡単そうだが、相手を飽きさせないように送ろうと思うと、なかなか大変である。
アップで撮ってみたり、引いてみたり、鏡を使ってみたり、寝っ転がってみたり、周りに物を置いて散らしてみたり。
日々頭を悩ませながらお尻の写真を送った。
結果キチガイのレッテルを貼られる
以上のようにお尻の写真を日々友人に送っていたら、友人の彼女から俺はキチガイのレッテルを貼られてしまった。
「毎日お尻の写真を送りつけて来る」
確かにここだけ切り取れば、キチガイの匂いがプンプンする。
いや切り取るってか、そのまんまなんだけど。
にしても、これだけでキチガイ扱いはないだろう。
ったくこれだから女は。かーぺっぺっ
気持ち悪いの一言で片づけるな
「毎日お尻の写真を送って来るなんて変態だわ!不潔!気持ち悪い!!」と心をシャットアウトしてしまうのは簡単だ。
しかし、これは思考の放棄だ。思考の放棄は人間の放棄と言っていい。
心を閉ざすな。考えろ。
理解できない行動にも、なにかしら理由があるはずだ。
それを考えてみて欲しい。
自分が理解できない事に新しい発見がある
人間、年を取り経験を重ねると、新しい事にチャレンジしなくなる。
世の中の一通りの事を経験し、経験してない事でも、なんとなく結果が想像できるようになる。
結果、効率良く省エネで生きられるようになるが、同じような選択肢を選んで、日々の変化がなくなりがち。
月日が流れるのも早く感じる。
新しい発見をするには、自分が理解できない事にも飛び込んでいく勇気が必要だ。
考えて行動する
考えて分からなければ、実際に行動に移してみるといい。
実際に毎日お尻の写真を撮って友人に送って見るのもいいだろう。
一か月後にはきっと友人から縁を切られているはずだ。
考えて、行動したうえで、俺の事をキチガイと呼ぶのならば、僕は甘んじてそれを受け止めよう。
昔の方がガチ感があったな
当時の俺はYoutube、Twitter、Facebook等のSNSは一切やっていなかった。
よって「友人にお尻の写真を毎日送る」という行動は、俺がやりたいからやっていた。
ネットでバズりたいとか、面白いと思われたいとかは一切なし。俺と友人が楽しければOK。
やっぱり、やりたいからやるが一番強い。
行動と動機が一致してるのが最強だ。
SNSで発信した時点で、俺の行動には第三者の目が入ってしまう。
こんな発言をしたら、こんな行動をとったら面白いと思われるのではないか。
ネットでバズるのではないか?動画が再生されるのではないか?
その思いが入った時点で偽物な気がするな。
やっぱSNSは毒だな。