
時は平成

20××年10月。川崎市内のとあるコインパーキングに俺はいた。
ある男が現れるのを俺たちは車で待っていた。
男が会社に近いこのパーキングに車を停めていることは事前の情報で分かっている。
俺たちは男の奥さんから、最近夫の帰りが遅いから調査をして欲しいと依頼を受けていた。
いわゆる浮気調査だ。
探偵なんてものは依頼のほとんどが浮気長調査だ。
この仕事をしていると、幸せな結婚生活なんて物は幻想なんじゃないかと思えてくる。
名探偵に憧れて探偵になったはいいが、金田一やコナンのような殺人が起こることなんて滅多にない。
俺の推理力を発揮する場所もない。全く宝の持ち腐れだ。
マルタイ

30分ほど待つと男が現れた。少し遠いが写真の男に間違いない。
今回は車の車種、色などの情報も奥さんから頂いているから間違いようがない。
待機中は終始、先輩も俺もリラックスモードだが、マルタイが現れると一気に空気が引き締まる。
俺はこのヒリつく感じが嫌いではない。
さっきまで呑気に煙草を吹かしていた先輩の顔つきも変わっている。
男は車に乗り込むと、バックミラーで髪を整え始めた。遠くからでも口笛を吹いているのが分かる。
さらに小瓶を取り出し、首や手首に吹きかけ始めた。おそらく香水だろう。
「奴は黒だ!!」
永年の俺の探偵としての勘(新人バイト)がそれを確信させた。
男はエンジンをかけると、パーキングを出て第一京浜を川崎駅方面へ爆走した。
関東屈指の歓楽街

車での尾行は徒歩より難易度が高く、失尾の可能性もあがるのだが、男が後ろを走っている俺たちの車を気にしている素振りはなかった。
おおかたこれからの事を想像して鼻の下でも伸ばしているのであろう。
男は川崎の歓楽街。堀之内のパーキングに車を停めると、まっすぐ近くの風俗店に消えていった。
店名を調べると、どうやらソープランドのようだ。
風俗が浮気になるかは分からないが、男が風俗店に入る映像は撮れている。
あとは風俗店から出てくる映像も撮りたいのだが、風俗店の前でずっと待っている訳にもいかない。
店前には客引きがいるし、風俗街の人通りもまばらだ。
さすがにここで待ち続けるのは無理がある。さてどうしたものか。
一筋の光明

あたりを見渡すと、風俗街から塀を挟んだ向こう側が、回転寿司屋の自走式立体駐車場となっていた。
駐車場の2階から、男が入った風俗店を丁度見下ろす事ができそうだ。
駐車場は暗く、おそらく店前の客引きからこっちは見えない。絶好の場所だ。
俺と先輩は寿司屋の自走式立体駐車場の二階に移動して、男が風俗店から出てくる瞬間を最も撮りやすい場所に車を停めて、男が出てくるのを待った。
あとは男が出てくるのを待つだけ。今回のMissionも俺を満足させるには至らなかったなと思いながら俺は紫煙をくもらせた。
出てこない男

20:00。男が風俗店に入ってから1時間以上たっただろうか。男が出てくる気配はない。全くもたもたしやがって。
20:30。まだ出てこない。一体あいつは何分コースで風俗店に入ったんだ?
20:45。まだ出てこない。さすがに俺らにも焦りが見えてきた。
なぜなら回転寿司屋の閉店時間が迫っていたからだ。
店が閉店すれば、俺たちも寿司屋の駐車場から出ていく必要がある。それ即ちMissionの失敗を意味する。
「あいつは一体何分コースで入ったんだ!!!」
先輩の怒号が響く。あの常に冷静沈着な先輩をここまで動揺させるとは。
今回のマルタイは只者ではない。異常性欲者。いや性獣だ。
俺は急いで店のHPを再度確認した。
さっくり60分コース。ゆっくり90分コース。まったり120分コース。
ダメだ。金田一を全巻読破している俺をもってしても、何分コースに入ったかを推理する事ができない。
くそ!!コナンも読んでおくべきだった。
手強い。俺たちは男の手のひらで遊ばれているのか。まるで釈迦の手のひらで遊ばれる孫悟空だ。
男は今頃、女の乳を吸いながら俺たちを嘲笑っていることだろう。くそが!!
先輩の決断

20:50。いよいよ回転寿司屋の閉店のタイムリミットが迫る。
どうする?ドウスル?DOUSURU?
ここで先輩がおもむろに財布から千円札を二枚取り出して、俺に渡した。
まさか......
俺は全てを察して、無言で頷くと二千円を受け取り回転寿司の入口へと走った。
課されたMission

20:52。俺が店内に入ると、店員が申し訳なさそうに
「お客様。当店は21:00で閉店ですが宜しいでしょうか?」と聞いてきた。
俺は知っている。
これは直訳すると「今から来られても面倒だから帰れ」だ。
美しい日本の文化、御為ごかし。
俺も元飲食経験者だから気持ちは分かる。閉店間際に来る客はマジうざい。
普段の俺は閉店の1時間半前には入店を躊躇うほどだ。
しかし俺には成し遂げなければならない事がある。
俺は心を鬼にしながら「ええ。大丈夫ですよ」と答えた。
意表を突かれた店員は顔を引きつらせながら俺を席に案内してくれた。
Mission Impossible

侵入には成功したが、ここからが本番だ。
男が風俗から出てくるまでの間、この店を閉店させてはいけない。
俺は回っている寿司を2、3皿とり、さらにタッチパネルで時間がかかりそうな、海老天寿司を注文した。
ビールも注文したかったが、丁重に断られた。
OK予想の範囲内だ。あとはひたすら耐えるのみ。
21:00。店員がやって来て。閉店時間だと俺に告げる。
俺は笑顔で返事をしながらも食べるペースはあげない。
覚悟はいいか?オレはできてる

21:05。バイトの子の閉店攻撃に何とか耐えていて俺であったが、遂に店側も本気を出して来た。
奥の部屋から、威風堂々とした男が俺に近づいてくる。
全身から闘気が溢れ左胸に輝く店長と書かれたバッヂ。間違いないこの男がこの店の頭だ。
店長に退店を促された俺は、最後にトイレに行かせてくれと言ってトイレに逃げ込んだ。
俺に残された最後の手段は籠城しかない。
後は俺とマルタイとのチキンレースだ。どちらの覚悟が上かはっきりさせてやる。
すると俺のガラケーが鳴った。
このタイミングでの着信が意味する事はただ一つ。
Mission Complete
俺は店員さんに丁寧にお礼を言って店を後にした。
